国土地図株式会社

江戸時代の地図と図式【江戸切絵図】其七

<文字の方向-其一>

●地名の表記
江戸時代までの絵図に、左下の明治以降の地図のように“北が上”とか、注記等の文字を“垂直方向・水平方向”に記載するなどの統一された図式のようなものは存在していたのでしょうか。

01 uenohirokoji 1884

上野広小路 東京五千分一 明治17年(1884)

02 uenohirokoji 1851

上野広小路 下谷絵図 嘉永4 年(1851)

下の伊能図(部分)は、北を上にして製図された地図です。主要道路沿いの家屋記号は北を上に記載されていますが、注記等の文字記載方向はバラバラです。

03 inozu
伊能図(大日本沿海輿地全図:90図 武蔵・下総・相模の部分) 国会図書館HPより

しかしよく見ると地名や御門名は江戸城の方向を、橋の名称は隅田川の上流を向くなど表記上の法則があるように思われます。これから江戸切絵図の文字表記における法則の有無について確認していきます。

 

●町人地の町名表記方向

下の“町人地文字方向図”は、伊能図と同じ範囲を著者編集の江戸全体図からカットしたものに、切絵図の町人地(①~⑫)を重ねたもので、赤い矢印は各絵図に書かれた町名の文字の上方向を示したものですが、前掲の伊能図とほぼ同じ方向になっていることが判ります。

04 moji
町人地文字方向図

 町人地文字方向図に掲載した①から⑫の各切絵図について、その文字の記載状況を確認してみます。絵図は概ね上が北になっています。

 

05 eidaiji 06 sinohashi 07 ryogoku
①永代寺門前付近(深川絵図) ②新大橋付近(深川絵図) ③両国橋付近(本所絵図)

 

上の①~③図は、隅田川の東側エリアです。その町名表記は、東西街路や水路沿いの町名は西側に流れる隅田川に向かって記入されています。南北街路や水路沿いの町名は中央を流れる竪川方向に向かって記入されているので、本所絵図と深川絵図では南北街路や水路沿いの町名は表記方向が逆になっています。

 

08 asakusa 09 kanda 10 ushigome
④浅草御門付近
(浅草蔵前絵図)
⑤神田明神下付近
(下谷絵図)
⑥牛込御門付近
(市谷牛込絵図)
11 yotsuya 12 akasaka 13 shinbashi
⑦四谷御門付近(四谷絵図) ⑧赤坂御門付近(赤坂絵図) ⑨新橋付近(芝愛宕下絵図)
14 hanzomon 15 nihonbashi 16 hamamachi
⑩半蔵御門付近
(麹町永田町外櫻田絵図)
⑪日本橋南側
(日本橋神田浜町絵図)
⑫浜町掘付近
(日本橋神田浜町絵図)

 

上の④~⑫図は、墨田川の西側で外堀内外の江戸城下エリアです。その町名の表記は、外堀(神田川を含む)の外側のエリアでは概ね御門に向かって記入され、内側エリアでは概ね御城に向かって、五街道(奥州日光街道・中山道・甲州街道・東海道)沿いでは日本橋に向かって、掘割や川ぞいでは上流に向かって記載されています。

 

これらから、切絵図の町人地に描かれている町名の表記の仕方には、次のような法則があるように思われます。

1.外堀の内側では、御城(江戸城)の方向が文字の上側になる
2.外堀の外側では、外堀方向または御門の方向が文字の上側になる。
3.五街道沿いでは、日本橋の方向が文字の上側になる
4.本所・深川では、隅田川と竪川の方向が文字の上側になる。
5.○○町○丁目では、一丁目のある方向が文字の上側になる。
6.周辺地では、江戸市街地または江戸市街へ通じる幹線道路方向が文字の上側になる。

 

次回は、道路上に表記されている横丁名や坂名などの文字方向、武家地の文字方向、寺社地の文字方向について、確認してみます。

 

By Motto-O